メソポタミアでは、シュメールからアッカド、バビロニア、アッシリアと覇権が移り変わってもシュメールの神話が受け継がれていった。その過程で、それぞれの民族神話と混じったり首都となった都市の守護神の地位を上げる物語を追加するなど、ストーリーの変化や神々の習合、系譜の書き換えが起こったため、時代によって神々の関係や性格に違いがある。
また、シュメール語とアッカド語(バビロニア語・アッシリア語はアッカド語の方言に分類される)は別系統の言語であり、名前が大きく違う神々もいる。
シュメール神話の宗教観と世界観
宗教観
太陽や月、大地、水など自然物を神と崇め、豊穣を祈る大地母神信仰を基礎とする。
これらの神々は自然物や自然現象を司るとともに、シュメールの主要都市のひとつ(稀に複数)を守護する「都市神」として、それぞれが固有の都市に主神殿を持っていた。都市国家であったシュメールでは「都市神」こそがその都市の真の王であるとされ、人間の王は真の王である神の僕というポジションだった。
世界観
世界は閉じたドーム状で、ドームの外には「ナンム(原初の海)」が広がり、「キ(地)」の下に大きな淡水の海である「アブズ(深淵)」、その更に下には乾燥した塵だらけの土地「クル(冥界)」があると考えられていた。
シュメール神話の神々
運命を定める“大いなる神々”
アン
天空の神。シュメール・アッカドの最高位の神。
ウルクの守護神としての役割はイナンナに、実質的な王権はエンリルに移るが、信仰は紀元頃まで続いた。
エンリル
大気の神。シュメール・アッカドの神々の王。
最高位の神はあくまでアンであるが、実際の支配権を持つ神々の王(実質的な主神)として描かれる。
エンキ
深淵を司る知恵の神。地下の淡水の海であるアブスの主。
「メー」と呼ばれる聖なる力の守護者でもある。
母は「原初の海」であるナンム、配偶神はニンフルサグ(=ダムガルヌンナ)。
人間に対して慈悲深く、『洪水伝説』ではジウスドゥラに生き延びるための助言を与える。
ナンナ
月の神。
エンリルと配偶神ニンリルの最初の子。配偶神は葦の神ニンガルで、太陽神ウトゥと金星神イナンナの父。
ウトゥ
太陽の神。
ナンナとニンガルの子で、エレシュキガルの弟、イナンナの双子の兄妹。
元来は女神であったが、アッカドの太陽神シャマシュと習合される過程で男神に変化していった。
イナンナ
豊穣・金星・性愛・戦争を司る女神。天の女主人。
ナンナとニンガルの子。ウトゥとは双子の兄妹で、姉は冥界の女王エレシュキガル。配偶神は牧羊の神ドゥムジ。
ニンフルサグ(ニンマフ)
大地母神(大地の女神)。
エンキの配偶神。
7柱の女神たちとともにナンムの人類創造を手伝った。
死を司る神々
エレシュキガル
冥界の女神。冥界の女主人(女王)。
イナンナ、ウトゥの姉。天地創造の際に贈り物として冥界に連れ去られた。
メスラムタエア
冥界の神。
エレシュキガルの配偶神。
その他の神々
ナンム
海の女神。天地が分かれる前から存在する原初の海。
天地(アンとキ)が一体化した最初の山を産んだ。アブスの王エンキの母でもある。神々の代わりに働かせるために人間を創った。
原初の海そのものであると言われ、蛇の頭を持つ容姿に描かれる。
キ
大地の女神。
原初の海ナンムより生まれた原初の地の女神。兄弟でもあるアンの配偶神とされる。
子であるエンリルにより天と地が分かたれた際、アンは天に追われ、キがエンリルと共に地を引き継いだ。
ニンギルス
戦いの神であり、天候を司る農業の神でもある。最高神エンリルに仕える勇士。
アンとガトゥムドゥの子(後代ではエンリルの子)とされるが、エンキの娘ナンシェの兄という記述もある。配偶神は生物の誕生や治癒を司る女神ババ(バウ)。
時代が進むと同じ性質を持つニンウルタ(二ヌルタ)と同一視されていった。
ドゥムジ
牧羊の神。イナンナの夫。
『イナンナの冥界下り』中でイナンナが命を落とした際、喪に服さず着飾っていたため、身代わりとして冥界に連れて行かれた。(最終的にはドゥムジの姉と半年ずつ交代で冥界に留まることになった)
その他の登場人物
ビルガメシュ
『ギルガメシュ叙事詩』の主人公である王。シュメール語で「先祖の英雄」という意味。紀元前2,700年頃に実在したウルクの王と考えられている(証明はされていない)。
初期王朝時代の伝説的な王ルガルバンダと、夢解きと知恵の女神ニンスンの間に生まれ、3分の2が神・3分の1が人間の身体を持つとされる。シュメル王名表や神話内では、神事の長であり大いなる神々に仕える大神官「クラバのエン」と記されている。
エンキドゥ
標準版(アッカド語版)の『ギルガメシュ叙事詩』ではギルガメシュの無二の親友として描かれるが、シュメル語で書かれたいくつかの物語の中では「アラド(下僕)」とされている。
ジウスドゥラ
シュルッパグの王で、ノアの箱舟のノアに当たる人物。シュメール語で「長き日々の命(=永遠の命)」という意味。
エンキ神からの予告により大洪水から助かった後、最高神アン・主神エンリルに供物と祈りを捧げ、ディルムンの地にて永遠の命を授けられた。
フワワ
ウトゥ神が支配する「生者の山(杉の山)」の番人。
竜の口と獅子の顔、荒れ狂う洪水のような胸を持つ異形のものとして描かれ、一説には巨人であったとも言われる。敵役として登場はするが悪魔の類ではなく、神々に近い存在(エンリルにより定められた山の番人)である。
シュメール神話の用語
場所や地域を現す言葉
アンキ
アン(天)とキ(地)を併せた「アンキ」で「宇宙」という意味になる。
アブズ
地底に広がる淡水の海で、天地創造以前の混沌であるとされる。
クル
本来は「山」という意味だが、シュメール神話の世界でいう「アブズ」の下に広がる乾燥した塵だらけの土地=「冥界」のことも指す。
神々に敵対する怪物として登場することもある。
クルヌギア
クル・ヌ・ギ・アで「還ることのない土地」という意味。「冥界」のことを指す。
ドゥルアンキ
「天と地の繋ぎ目」という意味。
天地創造の際に、まず原初の海ナンムが天と地の結合体としてアン(天)とキ(地)を産み、彼らの子であるエンリルが天地を分離したとされる。かつて天地が繋がっていた場所が「ドゥルアンキ」であり、ニップルという都市に同名のジッグラトがあった。
ディルムン
メソポタミア文明とインダス文明の交易の中継地であったといわれる実在の都市。正確な場所は分かっていないが、バーレーン要塞がディルムン文明の中心地として世界遺産に登録されている。
シュメール神話内では「海の彼方、東方にある」と記述され、「太陽の昇る場所」などとも称される。シュメール神話の天地創造の舞台であり、一説にはエデンの園のモデルになったとも言われる。
グ・エディン(・ナ)
紀元前26世紀頃、ラガシュとウンマの都市間で、ティグリス川沿岸の「グ・エディン」もしくは「グ・エディン・ナ(平原の境界)」と呼ばれる肥沃な土地をめぐって争っていたという記録がある。(「エディン」はシュメール語で「平原 / 平らな地形の土地」という意味)
ディルムンと同様に、この土地がエデンの園のモデルだとする説がある。
ジッグラト
階層状に建造された巨大な聖塔で、頂上には神殿が設けられていた。
バビロンにあったジッグラトを、旧約聖書では『バベルの塔』として伝えている。
「ジッグラト」はアッカド語で「高い峰」を意味する言葉で、シュメール語では「エ・ウ・ニル」(驚きの家)と呼ぶと考えられている。
その他の言葉
キエンギ
「シュメール」のことを指すシュメール語。キ(地)・エン(主人)・ギ(葦)で「葦の主の地」、もしくはギを「高貴な / 文明」と解釈して「君主たちの(文明ある)土地」という意味。
ちなみに「シュメール」はアッカド人が用いた「シュメルム」に由来する後世の呼び方である。また、古代バビロニアの書記官などに「シュメール人」を自称する者がいたが、それは「シュメール語の学習者」という意味で、民族としてのシュメール人とは異なる。
ウンサンギガ
シュメール語で「シュメール人」のこと。「黒い頭の民」という意味。
アヌンナキ
運命を定める偉大なる(上位の)神々の集団。
ディンギル
「神」という意味。
「天」を意味するアンと同じ文字で表される。(シュメールの文字は漢字と同じように一つの文字に複数の読みや意味を持つ)
ルガル
「王」のこと。真の王である各都市神の僕とされる。
エン
「主人」という意味。
各名称の一部として使われる言葉でもあるが、都市の長としての役割を担っていた神官などのことも指す。
メー
神や人の全ての言動や考えなどの指針となる「聖なる掟・力」のこと。
どのような形をとるものかは神話内で定義されていないが、何らかの形で実体を持つものと認識されていた。
シュメールの都市名
エリドゥ
紀元前4,900年頃建てられたとみられるシュメール最古の都市。
読みは「エリドゥ」だが、シュメール語では「ヌン・キ(聖なる地)」と書く。
シュメール神話では都市神であるエンキにより建設されたとされ、また、シュメール王名表には人類最初の王権が成立した都市と記される。
ニップル
シュメールの実質的な最高神エンリルを祀る主神殿とジッグラトを持ち、宗教的・政治的に重要な都市だった。紀元前6千年紀のウバイド期から人が暮らしていたとみられる。
シュメール語では「エン・リル・キ(エンリルの土地)」と書いて「ニブル」と読んだ。「ニップル」はアッカド語の読み方。
ラガシュ
シュメールの初期王朝時代に繁栄した有力な都市国家(シュメールの王名表にラガシュの王が載っていないため、地方国家であったとも考えられる)。都市神は戦と豊穣の神ニンギルス。
シュメール語で「シル・ブル・ラ・キ(カラスの群がる地)」と書き、「ラガシュ」と読んでいた。
シッパル
シュメール神話で大洪水伝説より以前の時代に王権が天から降りたとされる都市のひとつで、太陽神ウトゥを都市神とする。
シュメール語で「ウド・キブ・ヌン・キ(日が導く聖なる地)」と書き、「ジムビル」と読んだ。
このシュメール語表記に「イッド(川)」を付けて「イッド・ウド・キブ・ヌン・キ(日が導く聖なる地の川)」とすると、読みは「イッド・ブラヌン」になり、ユーフラテス川のことを指す。
各名称の対応表
シュメール語 | アッカド語 |
---|---|
アン | アヌ |
エンリル | エンリル |
エンキ | エア |
ナンナ | シン |
ウトゥ | シャマシュ |
イナンナ | イシュタル |
ニンフルサグ(ニンマフ) ダムガルヌンナ | ニンフルサグ ダムキナ |
エレシュキガル | エレシュキガル アルラトゥ |
メスラムタエア | ネルガル |
ナンム | ティアマト |
キ | アントゥ |
ニンギルス | ニンウルタ(二ヌルタ) |
ドゥムジ | タンムズ |
ビルガメシュ | ギルガメシュ |
エンキドゥ | エンキドゥ |
ジウスドゥラ | ウトナピシュティム |
フワワ | フンババ |
参考文献
- ピョートル=ビエンコウスキ・ほか編(2004)『図説古代オリエント事典―大英博物館版』(池田潤・ほか訳)東洋書林.
- 池上正太(2006)『オリエントの神々』(Truth In Fantasy 74)新紀元社.
- 岡田明子・小林登志子(2008)『シュメル神話の世界―粘土板に刻まれた最古のロマン』中央公論新社.
- 杉勇・尾崎亨(2015)『シュメール神話集成』筑摩書房.